2018/06/26   
Category: 旅行

イスラエルからパレスチナ自治区へ-ヘブロン編

ベツレヘムを訪れた夜にフェイスブックをスクロールしていると友人がある投稿をシェアしていました。
ヘブロンでイスラエルの兵士達がパレスチナ人の3歳の子供を泣かせている映像でした。
そこでヘブロンという街を知り、ネットで調べてすぐに問題がある街であることが分かりました。

  • パレスチナ自治区であったが戦争後イスラエル人が入植し始めた。
  • H1: パレスチナ自治区、H2: イスラエル地区
  • 定かではないが12万人以上のパレスチナ人が住んでいる。
  • 少しずつ増えているようで800人くらいのイスラエル人が定住しているとのこと。
  • 4000人の兵士がその800人を守っている。
  • 外務省の安全ページにてレベル3:渡航は止めてください。(渡航中止勧告)

多分行っては行けないところのように思えてきました。
でも何が起こっているのか見てみたいという気持ちが調べれば調べるほど出てきました。
日本人でも行ったことがある人もいるようで、ブログなどで行き方や街の状況なんかを写真で説明されていました。
しかし、数年前のものだったりで最近はどうなのだろうと外国のサイトを調べると、どうやら観光客にとっては問題がないであろうということが分かりました。
でも2015年末にはこのような状況であったことも確かです。(後から知りました…)
何はともあれ自己責任で行くことを決めました。

行き方に関してはこちらの記事を見てください。

この日はラマダンで金曜日だったためエルサレムの街は大変な人で溢れていました。
というのもパレスチナにいる人達もエルサレムの神殿の丘でお祈りをすることが認められています。
そのため大量のバスに人々が乗って、旧市街の通りを埋め尽くしていきました。

事前に調べておいてはいたもののネットの情報は古かったりするので、念のためインフォメーションセンターにてヘブロンへの行き方を聞きました。
イスラエルのバスとアラブのバスがあるということのみで、知らないと言われてしまいました。
なんか面倒くさって思われたかもしれません。

金曜日のためユダヤ教では安息日となっています。
日没前から公共交通機関が完全にストップしてしまうのでどうやって帰ってくるかも考えなくてはいけませんでした。

アラブバスでベツレヘムで乗り換えて行けることはネット情報で分かっていたので、その方法で行くことにしました。
前日もベツレヘムへ行っていたので問題ないと。。。

そして旧市街を抜けてバス停のあるダマスカス門へ行こうとしたのですが、大量の人達が自分に向かって歩いて来ていて、完全に逆流状態で進むことが全くできなくなってしまいました。

どうにか空いていそうな道を探してバス停までたどり着くことができました。
この時に初めてラマダン金曜日の礼拝のことを知りました。

エルサレムのバス停
エルサレムのバス停

バス停で同じくバスを待っていた人と話をしていたのですが、いっこうにバスが来ないので辺りを歩いてみると大量のバスが到着しているためにバス停までバスが入って来ないことがわかり、慌てて道に出て行って引き返し、ドアが閉まったバスを捕まえました。
とりあえずベツレヘムに行くかと聞いたら「そうだ」との返事で乗っけてもらいました。

ベツレヘムのチェックポイントまで一直線で20分くらいで着きました。
そしたら反対側の道にはまだまだ数百人ではきかないレベルの人達がエルサレムへのバスを待っていました。

そして昨日のようにチェックポイントには誰もおらず、そのままパレスチナ自治区へ入りました。
しかし、そこにはイスラエルに入ろうと待っている大勢の人たちが待ち受けていました。
兵士達がそこから出るというが、入ってこようとする人で詰まって全くもって出られませんでした。
他の人たちと無理やり道を開いてどうにか出ることができました。
ベツレヘムのチェックポイント
ベツレヘムのチェックポイント

この時点で既に12時前になってしまい、自分は一刻も早くヘブロンに行かなくてはと、調べておいたバス停まで歩いて行こうとすると、タクシーの運転手が声をかけてきました。
ヘブロンまでの往復と現地で2、3時間くらい留まって、イスラエル側も見てみたいと言ったら200シェケルと言われました。
高いと思ってバスに乗るから大丈夫だと行って断り、うるさいなと思いながらあしらっていると、今の時間はヘブロン行きのバスはないと行ってきたのでどうせ嘘に決まっていると思い、バス停まで歩いて行こうとしました。
そしたらこの時間は全てエルサレムに行ってしまってないとしつこく言って着いてきました。
念のため、歩きながらも交渉を続けてました。
そして彼の車を通り過ぎるところで、バス停までタダで乗せてあげる。
バスがあったらそのままバスに乗っていいからと。
それでも信用できなかったのでそのまま歩いて行くことに。
そしたら言っていた通りバスを見かけませんでした。

ちなみに午後2時にお祈りが終わるのでそしたらエルサレムに行ったバスが全て帰ってくると言っていました。
そしたら今度はヘブロンからベツレヘムに戻るバスも捕まらなくなるのかなと。。。

値段交渉をしながら5分くらい待っても来ないので、時間もなくなってきてしまったでのしょうがなく120シェケルで交渉成立としました。

そこからヘブロンへの道は40キロ弱、ここはイスラエの人が住んでいる地域だとか、ここを通る時はカメラは出さないようにとか説明を受けました。
途中いくつかバス停があったのですが、それらはイスラエルのバス停でした。
そして大体イスラエルの兵士がバス停に待機していました。
パレスチナ自治区に入っていたはずですが、どこまでイスラエルが占領してきているのかと考えさせられてしまいました。

運転手が戦争の前は何も問題はなかったと言っていました。

タクシーがある道を入ろうとした時、大きな看板があってここから先はイスラエル人は入ることを禁止すると書いてありました。
あまりにも一瞬だったので写真撮り損ねました。

その後、パレスチナ自治区で運転手もムスリムなので途中モスクに寄ってお祈りをしたいということで地元の人達しか来ないモスクの近くに駐車し、自分は15分くらい待機していました。

ラマダンのお祈りの時間のためほとんどすべてのお店が閉まっていました。
ラマダン時のヘブロンの街並み
ラマダン時のヘブロンの街並み
ラマダン時のヘブロンの街並み

その後、タクシーは中心地へ行くのですがどうやら通行規制を行っているようでこの先行っても駐車できないよって警備の人に言われたみたいでした。
しかし、運転手も少しだからと無理に入れされてもらい、奇跡的に一箇所スペースを発見しました。

そこから歩いて中心地へ行くとラマダンのためか通りには出店が沢山並んでいました。
野菜、フルーツ、パン、ハーブ、お菓子、おもちゃなどなど。

ヘブロンのパレスチナ自治区
ヘブロンのパレスチナ自治区

「サラマレコン」という魔法の言葉を使うと皆、笑顔で返答してくれます。
これはモロッコに行った時に聞いた言葉でイスラムの国では共通して使えるみたいです。
Helloの代わりに使えるのですが、その言葉の中にはI don’t bother you.(あなたの邪魔はしません)みたいな意味も含まれていると聞いた覚えがあります。

ネットで調べたら実際には「アッサラーム アライクム」と言うらしいです。
でも「サラマレコン」で100%通じていましたし、インドネシア人のムスリムに教えてもらったので外国人に分かりやすいバージョンというのがあるのかもしれません。

ヘブロンのパレスチナ自治区
ヘブロンのパレスチナ自治区
ヘブロンのパレスチナ自治区
ヘブロンのパレスチナ自治区
ヘブロンのパレスチナ自治区
ヘブロンのパレスチナ自治区

そして結構多くの人がHelloやWelcomeと言ってくれました。
なんかとてもフレンドリーでお祭りのような感じで、本当に問題のある場所なのだろうかと思ってしまいました。
ここにはイスラエルの兵士は一切いませんでした。

そしてよく見る写真の場所にたどり着きました。
地上にはパレスチナ人が住んでいて上階にはイスラエル人が住んでいるところです。
上に住むイスラエル人がゴミなんかを地上に投げ捨てるため、それが落ちてこないようにネットがかけられていているところです。
自分が見た時はゴミのようなものは見えませんでしたが、石ころが結構のっかっていました。

ヘブロンのパレスチナ自治区
ヘブロンのパレスチナ自治区
ヘブロンのパレスチナ自治区

そしてネット越しにはイスラエルの国旗が見えます。
侵入できないように鉄柵が設置されていたりします。
ある御宅の屋上に入れされてもらいその状況を上から確認することができました。

ヘブロンのパレスチナ自治区
ヘブロンのパレスチナ自治区
ヘブロンのパレスチナ自治区

その後、辺りを歩いたら小学校高学年くらいの3人組の子供達とすれ違いました。
「サラマレコン」と言って笑顔で挨拶をして通り過ぎようとすると運転手に何か言っていました。
その後、運転手がかなり怒り出してしまいました。
少し先にいた警備の人にそのことを告げると、その警備の人が子供達を叱り出しました。

どうやら「異教徒といるな」ということを悪い言葉を使ってその運転手をバカにしたようです。

ヘブロンのパレスチナ自治区
ヘブロンのパレスチナ自治区
ヘブロンのパレスチナ自治区
ヘブロンのパレスチナ自治区

どうにか落ち着き、運転手が車に戻ろうと言ってきました。
そして、車に乗り込むとベツレヘムに帰ろうとし出しました。
話が違うってと言うと、今日はラマダンの金曜日だからマクペラの洞穴(Cave of the Patriarchs)には入れないと言っていました。
地元の人に聞いて確認をしたとのこと。
でもイスラル側も見てみたいのと2、3時間くらい留まりたいと言ったでしょと抗議をするとかなりふてくされてしまいました。
ベツレヘムを出発してから2時間くらい経ったと言ってきました。
移動時間とあなたがお祈りをしていた時間入っていると言いましたが、これ以上交渉できませんでした。
イスラエル側に行くなら自分は行けないし一人で行けと、そしてこちらにはもう戻ってくるなと言ってきました。
自分がイスラエル側に行くことを物凄く嫌がっているようにも思えました。

どうしたいんだとプレッシャーをかけてきました。
イスラエル側に渡ってどうやってエルサレムまで戻れるかもわからなかったのですが、ここまで来て何も見ないで帰れないと思い、ではここでさよならすると言いました。
安息日のため、何時に最終バスが出るのかもかなり気にしないといけませんでした。

ベツレヘムへは帰らないから値段を安くしてくれと言ったのですが、それには応じてもらえませんでした。
一緒に行くならタダだと。
確かにこの運転手はベツレヘムに住んでいて、どのみち帰らなくては行けないのでそのぶん安くしろとは言えないかなとも冷静に考え妥協しました。

そこからチェックポイントの近くまでは送ってもらえました。
一度歩いた露店を通り過ぎ、ゲートを通り過ぎました。
ヘブロンのゲート

しかし、これはまだチェックポイントではなく普通の道に出ました。
ここはまだパレスチナ自治区だったようで、坂を下って行くとイスラエル兵が沢山いました。
ヘブロンのパレスチナ自治区

ヘブロンのパレスチナ自治区

ヘブロンのチェックポイント

チェックポイントではないらしかったのですが、国境にはなっているようでした。
通れるか聞こうと思い近づくと路上で3人の兵士が一人のパレスチナ人男性に尋問をしていました。

  • ポケットに何を入れているのか
  • シャツの下に何か隠していないか
  • ベルトを外せ
  • ズボンを開けておろして何か隠していないか
  • IDを見せろ

ヘブロンのチェックポイント

その間、別の兵士はライフルを彼にずっと向けていました。
もう一人の兵士はアイスキャンディーを食べていました。
こんなことをされてこの男性は尊厳を傷つけられ、IDの入っているパスケースを兵士に投げて渡しました。
投げられた兵士は一瞬カッとなり口論になりそうでしたが、どうにか衝突は起きませんでした。

これは普通に人々が行き交う通りで起こったことです。
後から上記のビデオを見てわかったのですが、これは完全に恥をかかせるためにやっていることがわかりました。
その場面を写真に撮りたかったのですが、気後れしてしましました。。。
自分はそこを通ってイスラエル側に入れさせてもらわなくては行けなかったので、面倒なことにはしたくないと。
でも後になって後悔しています。

その後、どうにかこの男性は尋問を終え去って行きました。

ライフルを向けていた兵士に、ここを通ってイスラエル側に行くことができるかと質問をしました。
すると即答でできるよと。
自分がどの国籍を持っているかも何も聞かずに返答をして来たことに正直、びっくりしてしまいました。
念の為、自分からパスポートを見せ、一瞬でボーダーを通過することができました。

マクペラの洞穴にはパレスチナ側とイスラエル側に入り口があり内部が分かれています。
このボーダーを過ぎイスラエル側の入り口行こうとすると別の兵士が警備をしていました。
やはり今日は入れないと言われました。
バス停の場所を聞いて最終バスの時間を聞くとわからないけど16時くらいかな?と。
あまりここで時間を過ごさないほうがいいぞと。

そこからはいたるところにイスラエル兵がいて、国旗や国章がペイントされているのを見ました。
ここはイスラエルだぞと言わしめているように感じました。

ヘブロンのイスラエル側

ヘブロンのイスラエル側
ヘブロンのイスラエル側
ヘブロンのイスラエル側
ヘブロンのイスラエル側

このチェックポイントの周りはあまり人が住んでいる気配がなく、建物も廃墟になっているものも多数見ましたし、人もあまり見かけませんでした。
安息日ということもあったかもしれません。

ヘブロンのイスラエル側
ヘブロンのイスラエル側
ヘブロンのイスラエル側

適当に歩いていると、行き止まりに。
そして、観光客が珍しいのか子供達が集まって来ました。

ヘブロンのイスラエル側

彼らの親達もいてコーヒーでも飲んで行くかと勧められましが、時間のこともあったので断りました。
子供達が道案内をするとのことで先導してくれました。
自分はGPSがあったのでいらないと言ったのですが、楽しみ半分で一緒に歩いて行きました。
そしたら近所の子供達も参加しだして子供8人くらいの集団になりました。(途中まで馬もいました)
写真やビデオを撮り出すとお金頂戴とか携帯見せてかみんなで迫って来ました。
カバンを開けようとするししつこいし、なんかどこまでが本気なのかがわからなくなって来ました。
近くにいた大人が助けてくれて、ただ悪ふざけしているだけだと言われましたが正直ちょっと微妙でした。
最後はちょっと走るように振り切ってその場を去りました。

なんか思わぬところで時間を使ってしまって、そしてちょっと疲れてしまったので、見たいところもまだまだあったのですが、バス停を探すことにしました。
別の兵士に聞いたら381, 382番のバスがエルサレムに行くと。
そしてここにバスが止まるよと。
その後、女性が来て兵士に携帯の充電を頼んでいました。
この女性も同じバスに乗るとのことで少し話していました。
やはりここの状況は複雑なようでした。

そのままバスに乗りエルサレムまで直行でした。
反対車線にはお祈りを終えエルサレムから戻る来る車が渋滞していました。

なんか疲れがどっとでてしまいました。
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