2018/06/22   
Category: 旅行

パレスチナ問題とは

エルサレムから2日に渡り半日づつですが、日帰りでパレスチナ自治区のベツレヘムとヘブロンに行ってきました。
ベツレヘムの記事を書こうと思ったのですが、パレスチナの問題抜きでは書けないということがわかったため、まずはその説明をしようと思います。

パレスチナ問題

ニュースで良く耳にするこのパレスチナやパレスチナ難民の問題ですが、意外と自分も含めて分かっていませんでした。
そして調べれば調べるほどとても複雑な問題であることが分かってきます。
ここではなるべく簡単に分かりやすく歴史を書ければと思います。

歴史

もともとこの辺りにはユダヤ人が住んでいました。
しかし、紀元前587頃に新バビロニアに、そして紀元前63年頃にローマ帝国に征服され、ユダヤ人の多くは世界各地に散らばっていきます。
イエスがユダヤ教徒であったのはご存知だと思います。
そしてこの地でキリスト教が生まれます。

その後、7世紀にイスラム勢力がやってきて638年頃にこの地を占領をしました。
イスラム教の聖典であるコーランはアラビア語で書かれているので、この地域に住む人々はアラブ人と呼ばれていきました。

この時点で既に3つの宗教がこの地を占領したことになります。
そのため聖地も同じ場所であるエルサレムにできてしまい、今でも争っているのです。

11世紀にはキリスト教徒が十字軍の遠征でエルサレムを奪回しようとしますが失敗します。

16世紀にはオスマントルコ帝国によって支配され、400年の時が経過します。

そしてイギリスの三枚舌外交が現在のパレスチナ問題を引き起こしました。

フサイン マクマフォン書簡

第一次世界大戦中の1915年から1916年の間にイギリスはトルコ帝国内のアラブ勢力に10通の書簡を出しました。
内容はトルコ帝国内での武装蜂起を条件に、アラブの独立を約束するものでした。
アラブ人にとってトルコ帝国は不愉快な存在であったため武装蜂起をします。
映画で有名な「アラビアのロレンス」はこの時に連携役として活躍をした人物です。

サイクス ピコ秘密協定

しかし、実際には1916年にイギリス、フランス、ロシアでアラブ世界の分割、支配を密かに決めていました。
ロシアはその後この協定から抜けますが、イギリスとフランスは大戦後に合意通りにアラブを分割してしまいます。
なお、パレスチナはイギリス、フランス、ロシア3カ国の保護国と決めていました。
つまり、フサイン マクマフォン書簡の内容は実現されませんでした。

バルフォア宣言

1917年にイギリスはユダヤ イスラエル文化の復興運動を行なっているシオニスト連盟会長に戦費調達を申し込み、その代わりにユダヤ人のナショナルホームランド建設支援を約束します。
そのため、世界各地に散らばっていたユダヤ人がパレスチナの地に移住していきます。
1930年代のヒトラーによるユダヤ人の弾圧もあり大量の人々がパレスチナへやってきました。
パレスチナに住んでいたアラブ人はイギリスに対する不満とユダヤ人への反感を強めていきます。
そのためイギリスはユダヤ人の帰還を、船を封鎖するなどして抑えようとしました。
そのためユダヤ人からも反感を買うようになっていきました。

国際連合の決議

第二次世界大戦後、パレスチナではアラブ人とユダヤ人の対立が激しさを増し、イギリスは国際連合に解決を委任し、1947年にパレスチナ分割を決議しました。(エルサレムは国際管理都市とする)
しかし、この内容はユダヤ人にとって条件の良いものでした。
そして、1948年にイスラエルとして独立を宣言します。

中東戦争

1948年、アラブ諸国はこの決議に反対し、イスラエルの独立拒否をして軍事攻撃を開始します。(第1次中東戦争)
しかし、イスラエルが勝利しアラブ人居住区を占領したため、そこに住んでいた人達が追い出されパレスチナ難民となってしまいました。
1967年、イスラエルが突然の攻撃でヨルダン川西岸地区、ガザ地区、シナイ半島など多くの部分を占領します。(第3次中東戦争)
シナイ半島はエジプトに奪回されますが、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区にはユダヤ人が入植していき、更にパレスチナ難民が増えていきました。
これらの人々は難民キャンプへ送られ、現在も塀の中で生活をしています。

現在の状況

現在パレスチナはヨルダン川西岸地域(West Bank)とガザ地区(Gaza Strip)とがあります。
ヨルダン川西岸地域は文字通りヨルダンとの国境沿いにあり、ガザ地区はエジプトとの国境沿いにあります。
これは国連の決議によって決められたよりもイスラエルが多くの地域を支配しています。
第3次中東戦争で占領をした部分が増えているためです。
そのためイスラエル軍が徐々に撤退をすること、東エルサレムをパレスチナの首都とするなどを条件に、パレスチナ解放機構のアラファト議長と和平案を協議してきた経緯があります。
イスラエルの対応はその時の首相によって変わっています。
ヨルダン川西岸地域の撤退が特に進んでいないようです。

パレスチナ自治区の減少地図
驚愕です。
これは2015年にツイートされたものですが、ここまでパレスチナの領域が少なくなっています。
もともとイスラエルとパレスチナにほぼ半分ほどに分割されたはずなのに。
エルサレムやパレスチナを歩いていて、イスラエルが全てをコントロールしていると肌で感じていました。
イスラエルの中にパレスチナがあるという感覚です。
この図を見てその通りだったと思ってしまいました。

そして今、イスラエルと攻防を行なっているのがガザ地区です。
ここにはテロ組織であるハマスがコントロールしているのでかなり交戦的な行動を起こしています。

どうにか和平の実現へ向けて進んで行って欲しいと願っています。
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