エルサレムは昔から一度は来なくてはいけないなと思っていた場所です。
自分は信仰心があるわけではないですが、外国に住んでいるということもあり、キリスト教徒やイスラム教徒の友人も多くいて、宗教というものがもっと身近に感じられる環境にあります。
文化、教育の背景に宗教というものは強く影響を与えているということもあり、ずっと興味を持っていました。
そしてなぜ宗教の違いから争いが始まってしまうのか?
お互いがリスペクし共存できないのか?
エルサレムはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地が交わっているところで、世界的にも唯一の場所です。
宗教とはなんなのだろうかと考えるいい機会になるなと思っていました。
そしてここ最近は、アメリカ大使館がテルアビブからエルサレムに移動され、色々と問題が起きているというのもニュースでよく見ました。
実際にそこに住んでいる人たちはどのように過ごしているのかということを感じてきたいというのもありました。
エルサレムの旧市街
エルサレムの旧市街は4つの地区に分かれています。
- ユダヤ教区
- イスラム教区
- キリスト教区
- アルメニア人地区
アルメニア人地区に住むアルメニア人はキリスト教を信じる人たちが住んでいます。
エルサレムの東側には隣接して神殿の丘(Temple mount)と呼ばれる地区があります。
現在は、アルアクサ モスク(Al-Aqsa Mosque)と岩のドームが建っています。
この場所ではユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒の間で数千年もの間戦いが繰り広げられて来ました。
エルサレムがそれぞれの宗教にとって聖地であるためです。
ではなぜそうなったかということを理解するために、簡単に説明をしておきます。
キリスト教徒にとって
聖墳墓教会(Church of the Holy Sepulchre)
キリストのものと伝えられている石墓があり、キリストが磔にされ、埋葬そして復活をしたと信じられる場所でもあります。
カトリックとオーソドックスのキリスト教徒にとって最も神聖な教会。
イスラム教徒にとって
アルアクサ モスク(Al-Aqsa Mosque)と岩のドーム(Dome of the Rock)
サウジアラビアのメッカ(Mecca)とメディナ(Medina)に次ぐ第3の聖地です。
預言者ムハンマドがある夜にメッカからここまで旅をして、預言者達の魂と祈ったと信じられています。
そして天に昇る時にかけた足跡が岩に残っていると信じられています。
その岩を覆うように岩のドームが建てられました。
ユダヤ教徒にとって
嘆きの壁(Western wall)
かつて神殿が建てられてから保持されてきた壁の残部になります(神殿は紀元70年にローマ帝国によって壊されたため)。
ユダヤ教徒にとって神殿の中は最も神聖な場所です。
そこはアブラハムが神への信仰心のために息子のイザックを犠牲にするために備えた岩であると信じられています。
そして多くのユダヤ教徒は岩のドームがその場所であると信じています。
しかし、現在はユダヤ教徒はここに入ることができないため、そこから一番近い場所であるこの壁で祈りを捧げます。
エルサレムの率直な感想
キリスト教やイスラム教の国には行ったことがあったので、それらの宗教に関する物事、儀式などは大体想像は付いていたのですが、ユダヤ教の国(イスラエルしかありません)に来たのは初めてだったので、馴染みのない物事ばかりで新しい発見がたくさんありました。
視覚的なものが大きく、やはり嘆きの壁でお祈りをする人達と、街中を真夏に黒いジャケットと帽子を被っている男性達のインパクトは大きかったです。
そして、その横をムスリムの女性がすれ違って行くのを見ると特別な光景だなと思いました。
それはもしかしたらユダヤ人が帰ってくる20世紀初頭まではありえなかった光景かもしれません。
しかし、今でもユダヤ人が入れない場所(神殿の丘)とムスリムが入れない場所(嘆きの壁の広場)があります。
実際に、ここに暮らす人たちがどのように共存しているのかを見ていました。
それは至って普通に見えました。
超正統派やキッパを頭に乗せたユダヤ教徒の男性とムスリムの女性は、身なりで明らかに宗教が特定できます。
お互いに距離を置くわけではなく、隣人として振舞っているように見えました。
ただ他の国で見られるクリスチャンとムスリムの人たちが同じグループで一緒に話し合いながら道を歩いているような光景は見られませんでした。
つまり、問題がないように振舞っていますが、一定の距離を置いているのかもしれません。
今でもパレスチナ人(ムスリム)とイスラエル人(ユダヤ人)の間では大きな問題を抱えていますし、それを忘れて仲良くするというのも無理なのかもしれませんし、同胞からも文句が出るかもしれません。
旧市街地ではイスラエルの警官が通行人にIDを見せろと要求している場面も見受けられました。
しかし、とても安全でスリの心配もないように感じられました。
今住んでいるリスボンの方がスリなどには気を使う必要があるなと思いました。
基本的に公共交通機関は安いですが、食べ物や物販が高く感じました。
スーパーでハムとフルーツジュース、菓子パン2個とヨーグルトを買ったら50シェケルを超えます。
1 ILS(イスラルシェケル) = 30.6 JPY
高すぎてレストランでは一度も食べませんでした。
だいたいピタと呼ばれるケバブみたいなもので食事は済ませていました。
それで25〜35シェケルでした。
イスラエルの人達はサービス業でない限り、基本的に見ず知らずの人達にあまりスマイルをしないような印象がありました。
その一方、笑顔を見せてくれるのはムスリムの人たちが一番多かったように思います。
嘆きの壁の広場にはたくさんのアメリカ人(もしくはアメリカからの移住者)が多いなという印象でした。
彼らが話している英語を聞くとアクセントから多分そうだろうという推測ですが。
嘆きの壁の広場から壁に近づくには、キッパと呼ばれるお皿のようなものを頭のてっぺんに載せる必要があります。
紙でできたものが入り口に置かれているので無料で使用することができます。
使用後は元あったところに返却をします。
帽子を被っていればキッパを載せる必要はないようでした。
そしてイスラエルの国旗を掲げているアパートや車などを多く見かけました。
イスラエルの徴兵制
イスラエルでは満18歳で男子は3年、女子は2年の徴兵制度があります。
そのため軍服を着ている若者を街中でよく見かけます。
それは大体訓練を終えて帰宅をする途中の人たちだったりするのですが、
ライフルを肩からぶら下げているのでびっくりします。
そのまま地べたに座って歓談していたりします。
実弾は入っていないのでしょうが、日本ではまず見られない光景です。
そしてたまに軍服を着ずに私服でライフルを持っていたりする人も見かけました。
周りは当たり前のように思っているようですが、これが実はテロリストだったらと思うとぞっとしまう。
日本人にとってはギターを担いているような感覚と言ったらいいでしょうか。
エルサレムでのラマダン
エルサレムを訪れた時はラマダンの時期でした。
この約1ヶ月間、イスラム教徒は日の出から日没まで何も食べずに水も飲まません。
月の暦を用いるため毎年少しずつ日程がずれていきます。
夏に当たるとそれだけ時間が長くなります。
金曜日はムスリムにとってもお祈りの日です。
特にラマダン時の金曜日は特別で、普段許されていないパレスチナの人々もこの日は特別の許可を得てエルサレムの神殿の丘に入ることが許されています。
そのためものすごい数の人達が押し寄せ、その人達で通りが埋まります。
自分はバスを乗るためにその流れに逆流しようとしていたのですが大変なことになりました。
ここがバス停で正装をした人達がバスから降りてきていました。
物販店などでは日没とともに店内にあるテーブルにご飯を並べて一緒に食べ始めます。
そして通路にはたくさんの露店があり食べ物、ジュース、子供用のおもちゃやお菓子なんかが販売されていました。
なんか季節のせいか夏祭りの屋台を思い出しました。
露店でグリルされたお肉が入ったこのピタが絶品でした。
エルサレムでは一番安く10シェケルでした。
そして、若者などはみんなでスウィーツ店に繰り出して食後のデザートを歓談しながら楽しんでいました。
みんなが注文をしていたので名前を聞いてこのナフェナフェシィというデザートを食べました。
上部は甘い砂糖菓子なのですが底に塩味あるチーズの層とのバランスがとっても美味しかったです。
作りたてで暖かいのでチーズがとろけているのも絶妙でした。
エルサレムでのシャバット
金曜日の日没辺りから土曜日の日没まではユダヤ教ではシャバットと呼ばれる安息日になります。
この期間は公共交通機関は全てストップし、タクシーとシェアタクシーのシェルートだけが利用できます。
6月の頭でしたが夕方5時くらいになると明らかにトラムやバスが街中から消えてゆき、トラムに乗るために走っている人などを見かけました。
そして物販店はほぼ全て閉まって、カフェやレストランは数件開いていました。
ムスリムのお店は通常通りやっているのであまり心配はしなくて良いかと思います。
木曜日の夜は土日休みの金曜日の夜のような感覚で物販店もいつもより遅くまで開いていました。
そしてバーやナイトクラブなどに行く人も多いようです、
そして一番の衝撃の光景が嘆きの壁の前に集まるものすごい数の人々。
金曜日の夜7時くらいから徐々に人が増え始め、8時くらいから遅くまで続きます。
そしてこの間に写真撮影をしようとすると禁止だと注意されます。
何が行われているかというと
- 椅子に座ってひたすら本を読みながらお祈りをする人達
- 壁に向かってお祈りをする人達
- みんなで輪を作って代わる代わる一人が中央に行き、掛け声をあげながら踊りなどを行い、それを周りが真似をする人達
- 一人を椅子に座らせてそれをみんなでわっしょいする人達
- 一人の代表者がお祈りを読みそれを聞いている人達
- 久しぶりの再会に歓談をしている人達
様々なところで様々なことが起きているので見ていてとにかく飽きませんでした。
写真で見るエルサレム
嘆きの壁のある広場へはセキュリティーチェックを必ず受ける必要があります。
神殿の丘に行くための橋の上から見た嘆きの壁。
奥が男性が祈る場所で手前が女性が祈る場所と分かれています。
神殿の丘への入場はスケジュールが厳しく限られています。
ムスリム以外の人が入れるのは、
夏 7:30〜11:00、13:30〜14:30
冬 7:30〜10:00、12:30〜13:30
金、土、祝日は終日入れず
特にラマダン時期は午後も入れなくなります。
これは入場時間ではなく、この時間以外にはこの区域にいてはいけない時間なので、終了の10分ほど前から係の人たちが「出ろ」という指示が飛んで来ます。
そして、入場には長い列が出来ることもよくあります。
エルサレム滞在のスケジュールで一番予定に気を使った方が良いと思います。
そしてラマダン時期にはムスリムへのリスペクトとして、飲み物(水含む)や食べ物を持って入ることができません。
入り口のところで置いて行く必要がありますが、後で戻って回収することは可能です。
そして、この区域にあるモスクと岩のドームにはムスリム以外に入ることができません。
ムスリム以外は神殿の丘への入り口は一つですが、出口はいくつかあります。
そこには必ずイスラエルの兵士が警備をしています。
神殿の丘は木々の地上1.5メートルくらいが白く塗られています。
話を聞くと虫が登っていかないようにするためとのことです。
白のヒジャブがマッチしています。
男性達の服装はこういうものもあります。
イスラエルでは男の子は13歳になると成人とみなされバーミツバと呼ばれる儀式を行います。(女の子は12歳のようです)
音楽を演奏しながら嘆きの壁の広場に向かってみんなでパレードをします。
親などがキャンディーをたくさんばっと投げて、主役の男の子がそれをキャッチして食べていました。
人生でとても重要な日のようでみんな正装をして記念撮影です。
嘆きの壁の男性側の区域を見る女性達。
女性側の区域からバーミツバを迎える息子に手を振る女性。
嘆きの壁に向かってお祈りをする男性。
旧市街の通りは商店が並んでいて混んでいる道と住居のみで空いている道があります。
夕方ごろになると買い出しの人達で狭い通路が人で一杯になります。
アルメニア人地区は人通りが少なかったように思えました。
マウントオリーブから見るエルサレムの神殿の丘。
フレッシュな人参ジュースがとても美味しかったです。
お願いすると生姜も入れてくれます。
五杯ぶんで20シェケルでした。
観光客が多いところはとても高いです。
多分この値段で一杯です。
エルサレムの新市街にある市場。
オリーブの詰め合わがともて美味しいかったです。
ジャファ門の近くにはショッピンモールがあり、服、靴、薬局、カフェ、レストランなどがありました。
新市街のトラムの駅。
観光客などがあまり来ないところではバスの時刻表はヘブライ語とアラビックのみだったりします。
でもほとんどの人が英語を話せるので聞けばいいかなとも思いました。
思ったよりも緑が多かったような印象がありました。
どこも砂漠のイメージがあったので意外でした。
やはりエルサレムを知るにはもっと深く掘り下げた歴史を理解する必要があります。
この話は機会があったらまた別の記事に投稿をしようと思います。
次回はパレスチナ自治区のベツレヘム編です。
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